著者にとって京都の入口となった丹波口駅ですが、加藤藤吉『日本花街志』(昭和31年)は「角屋の主人十一代目中川徳右衛門氏は、発展策の一助にと廓の西南の隅にあつた、揚屋の藤屋と称した家の廃絶した跡を買い取つて、山陰線の工事に着手した京都鉄道に寄…
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