消えた赤線放浪記 3

失われつつある旧赤線地帯や線後(売防法以後)の風俗街、花街について研究します

2024-01-01から1年間の記事一覧

水上勉「山陰本線丹波口駅─────遊女の町」(『停車場有情』昭和55年 所収)[3]

鉄道駅開業後の島原遊廓ですが、長田幹彦「島原」(『讀賣新聞』大正2年5月4日)には「島原といへば數多い京都の色街のなかで最も古めかしく、そして最も憐れな姿で衰殘の名殘りを留めてゐる唯一の廓であることは云ふまでもない。」「廓へ入ると狭い陰鬱な街…

水上勉「山陰本線丹波口駅─────遊女の町」(『停車場有情』昭和55年 所収)[2]

著者にとって京都の入口となった丹波口駅ですが、加藤藤吉『日本花街志』(昭和31年)は「角屋の主人十一代目中川徳右衛門氏は、発展策の一助にと廓の西南の隅にあつた、揚屋の藤屋と称した家の廃絶した跡を買い取つて、山陰線の工事に着手した京都鉄道に寄…